【次女の発育】”ざんねん”と言わないで。

次女の発育
Profile (CC0), Pixabay

残念なお知らせがあります。

 

これは生後1か月の次女を一目見た、区の保健師から言われた言葉でした。

1歳の誕生日におすわり出来なかった次女について①(出産~6か月)

 

保健師は、その後、次女の「舌小帯短縮症」について話してくれました。

母乳の飲みの悪かったことなどが合点がいき、その方にはとても感謝しています。

 

しかし、その後も「残念」という言葉だけががどうしても心に残ってしまうのです。

生後1か月で「残念」烙印を押されてしまった次女が、かわいそうに思えてなりませんでした。

 

平均的に成長がしていくことが本来の望ましい形ですし、

その成長から少しでもそれている子供に対しては、早めに対応していくということが、

早期発見に大切なことだとは私も思います。

 

けれど、それから外れている=”ざんねん”なのでしょうか。

 

何を言いたいかというと、”ざんねん”の基準は自分で決めるものだと思うのです。

 

その後の娘の成長で、不安なところもたくさんありますし、

いつまでも寝たきりの子供になるかもしれないと、眠れない日々もありました。

 

けれど、結局どんな子供だったとしても、それを丸ごと受け入れて、

その子の笑顔を少しでも増やしてあげて、楽しいことを一つでも教えてあげることが、

親の使命だなあと考えるようになりました。

 

私をそんな考えにしてくれたのも、スムーズとは言えない次女の成長のおかげなのです。

つまり何が”ざんねん”かなんて、誰にも言えないんです。

 

自分の世界観で〇や×、かわいそうなど考えがちですが、結局は本人次第なんですよね。

障害があっても親に受け入れてもらえない子供は、かわいそう。に入るかもしれないですが…

それにしても、究極他人は何も言えないんですよね。

(その保健師さんには、悪気はなかったはずです^^;)

 

日々幼児教育だなんだと言っていても、

本当に大事なのは、”今”の子供を先入観なく、純粋に受け入れてあげること。かもしれない

と思った次第です^^

 

 

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